「英語不要論」がささやかれる昨今。子どもの英語学習をポジティブにするために、親が知っておきたい視点を有識者にうかがいました。
大人だけじゃない。「英語不要論」は、中高生も感じています
2014年12月に産経新聞に掲載された記事「『英語』は本当に必要なのか 大学関係者から漏れる『英語不要論』」は、教育関係者や親の間で波紋を拡げました。
その記事中、有識者会議では、不要論の元となる「(英語教育の)必然性はない」という意見に対し「ビジネスにおいては必然性は高い」という当然の意見も出たと書かれていましたが、より注目したいのは記事中に引用されていた、中高生を対象としたベネッセ教育総合研究所によるアンケートの結果でした。「授業での学びと、英語を使うことにも大きなずれがある」ことが記されています。
「英語の勉強はテスト対策としてやる。ただ、将来自分が海外で活躍するときには、きっと英語が必要なくなっているはずだ」
「大人だって英語を必要としていない人はたくさんいる」
「英語より中国語を身につけた方が活躍できそうだ」
「翻訳ソフトの発達で語学力が不要になる」
よく聞かれるこんな意見に象徴されているのかもしれません。
世界で活躍したいから一生懸命勉強して英語を身につけるという発想は、今の子どもたちにはすでに古いのでしょうか。
子どもに「英語が必要だ」と教えたい人に
そんななか、「英語って、勉強する必要があるの?」と子どもから聞かれたら、親はどうしたらいいのでしょうか?
「必要だからやりなさい」と言うだけでは説得できるはずもありません。そんな疑問に対して親が用意しておきたい答えを、将来の日本の展望や教育現場の現状から有識者にうかがいました。
1.「英語力が貧富を決める」が、新常識になるかもしれない
「私は大学の講義でもよく英語の必要性を訴えています。その理由は、世界中の最先端の情報がほぼすべて英語で配信されているからです。それは、かつてゲームや精密機器業界をリードしていた日本の影響力が弱まり、今では英語圏が主導となって開発が進んでいることからも明らかです。学術的にも、影響力のある論文は英語で発表される事が殆どです。」
『ことばのパズル もじぴったん』の開発者・プロデューサーであり、現在は神奈川工科大学で特任教授をされている中村隆之先生はこう語ります。
ゲームデザイン教育やゲーム開発教育を専門とし、世界的に注目されている、まさにグローバルで活躍している人物のひとりです。
「たしかに中国は経済大国でありますが、学問の分野で世界をリードしているわけではありません。コンピューターの基本言語も、インターネットの共通言語も英語です。最近では、『カーン・アカデミー』や『オープンコースウェア』など、英語さえ理解できれば高等教育が無料で受けられるという仕組みも増えています。貧富の差を形成している社会の仕組みそのものは変わりませんが、英語が使えればチャンスは広がるのです」
貧しさから抜け出したいなら英語を学ぶべき、あるいは貧しくなりたくなかったら英語を学ばなければならない。それが、これからは新しい常識となるかもしれません。
2.翻訳ソフトでは限界がある。必要なのはコミュニケーション能力
では、インターネット上やスマートフォンでも提供される翻訳ソフトの発達に関してはどうでしょう。元大学入試センター教授であり、現在では福岡大学(コミュニケーション学科)で教鞭をとられている小野博先生は次のように語ります。
「翻訳ソフトの発達を否定するつもりはありません。しかし、そういったソフトをいつでもどこでも使うことはできるのでしょうか。会議や打ち合わせ、あるいは商談のときに使うのはいい。通訳者を利用するのも同じです。ただ、パーティーや私的な会食においても翻訳ソフトを使うのはいかがなものかと思います。それで良好な関係が築けるとは思えないのです」
同様に、中村先生も次のように語ります。
「端的に言いますが、『翻訳ソフトで異性が口説けるか?』とイメージしてみてください。翻訳ソフトがいくら発達しても、想いを完璧に理解できるようにはならないと思います。そもそも言語は“生き物”なのです。造語も含めて次々に新しい言葉が生まれますし、それを理解するためには翻訳ではなく、文脈での理解が欠かせません。たとえば『ファブレット』という言葉があります。スマートフォンとタブレットの中間を意味する言葉ですが、これなどは文脈を知らなければ、なかなか理解できない言葉でしょう」
そして小野先生は英語を使うことの本質についても言及します。
「そもそも学生たちは、英語と聞くとものすごくできなければいけないと思ってしまっている。しかし実際には、基礎的な英語でもコミュニケーションをとることは十分に可能なのです。仕事上で使う英語も同じです。一番大切なのは、コミュニケ-ション能力と異文化対応力(外国人と一緒にいてもOK)を身につけた上で、英語を使いこなすことです。」
あくまでも英語はツール。コミュニケーション能力を高めなければ、文化や習慣の違いを乗り越えることはできないのです。
3.アジアに目を向ける時代だからこそ、英語が必要に
最後に、英語が中国語などの他の言語にとって代わられるのではないかという問いです。
遠い未来のことは誰にも予測できませんが、日本で働く人も、いわゆる世界で活躍したい人にとっても、必ずしも英語ではなく他の言語が必要になる時代が来るかもしれません。
ですが、日本の近い将来を見据えたとき、小野先生はこう続けます。
「日本の人口は減少しはじめています。少子高齢化ですから、それは誰の目にも明らかです。そうしたとき、アジアの優秀な人材が日本国内に入ることになる。もちろん彼らは英語が使えるように教育されています。彼らと比較されたとき、いくら日本人でも、独自の優位性を発揮できなければ仕事を追われてしまう可能性はあるのです。
さらに、今の日本で大きな収益源となっているのは外国人旅行者です。九州で話題になった話なのですが、経営の危機を迎えたとある旅館が外国人向けに英語とタイ語とベトナム語で集客したところ、お客さんが増えてすごく盛り上がったそうです。またあるカラオケ店では、受付担当として英語ができる人材を募集しているところもあります」
つまり、これまでは英語ができなくても職に就くことができましたが、これからは英語ができないと日本国内でも就職先が限定されてしまう可能性があるということです。
時代はどんどん変わっています。「英語が使えなくても大丈夫」というこれまでの常識に縛られていると、結局のところわが子の選択肢や可能性を狭めることになってしまうのです。
武器としての英語から、防具としての英語へ
かつては、英語を身につけていることが大きな優位性となりました。つまり、英語力を武器にしてより優良な仕事に就くことができたのです。しかし時代は変化しています。英語力という下地がなければ、受けられる教育も、得られる情報も、就職先も限定されてしまう。世界でもそれは同様なのです。
そうした現状を加味して、「英語は不要」などと楽観視していて本当にいいのでしょうか。少なくとも、未来を担う子どもたちには、英語の必要性を訴える意義がありそうです。もしかしたら、武器にはならないかもしれない。しかし、自分の身を守る防具にはなる。そのような理解を、まず大人である私たちが持つべきではないでしょうか。