西オーストラリア州政府 駐日代表部の遠山桃子さんは、留学を経て、いかにして現在の職に就いたのか。スキルアップしながら進んできた道を振り返っていただきました。
前編はこちら:
ワーキングホリデーを利用し再びオーストラリアへ
留学先の学校を卒業した後はどうされたのですか?
学校に通っていたのは実質8ヵ月くらいで、その後2ヵ月くらいは在学中にできなかった観光などに費やしました。現地の大学院などに進みたいという気持ちもありましたが、予算の都合でいったん日本に帰国しました。
しかし、その時点で私はパースにとても魅了されていて、なんとか向こうで暮らしたいという気持ちが強かったのです。そこで、ワーキングホリデーを利用して、1年間働きながら暮らすという道を選びました。
ただ、当時のパースはまだ街の規模が小さくアルバイトを見つけるのが困難でした。そこで、街の規模が大きいシドニーへ行くことにしたのです。
そのころはすでに働く上では申し分ないくらいの英語力は身についていたのですか?
自分としてはそれほど自信は持てていなかったですが、採用していただけたということはある程度そうだったのだと思います。
シドニーにある日系の企業で仕事を始めました。当時のワーキングホリデーは3ヵ月ごとに雇用主を変えなければならなかったので何度か転職しながら。
ワーキングホリデー期間の最後に勤めた企業から「就労ビザを取って就職し、長期で働かないか」というお話をいただいて、それを機に就労ビザを取得しました。その後も何度か転職しましたが、同じような業界で8年働きました。留学とワーキングホリデーを合わせるとトータルで10年いましたね。
最初に留学したときは、まさか10年いるとは……
思ってもみなかったですね。当時はまだ若かったし、両親も「1年で帰ってくるでしょう」と送り出してくれたのですが、まさか10年もいるとは思わなかったでしょう(笑)。でも「オーストラリアに遊びに行けてよかった」とは言ってくれます。
就労ビザの取得は難しいものなのですか?
そうですね。現地の法人にスポンサーをしてもらうことが絶対条件になるので。その法人も、従業員の数や現地の人間をどのくらい雇用しているかというところが問われます。
また、就労ビザを出す人間にはどういう仕事をさせるのか、どうしてビザを出してまで雇わなくてはならないのかということを証明しなければならないのです。
ワーキングホリデー期間の最終期というと学校を出てまだ1年経っていないころですよね。優秀でいらっしゃる。
いえいえ。時代もよかったのだと思います。ちょうどシドニーオリンピックが開かれたころで、オーストラリアが好調になる時期の先がけでした。
勉強意欲の向上にIELTSを活用
就労ビザを取得されてからはどのようなお仕事をされたのですか?
日系の旅行代理店で、日本から来る自治体や企業の方に視察の手配をする仕事をしていました。
例えば、農業であれば現地の農家のところへ行って話を聞いたり、福祉であれば障がい者や高齢者の施設に行って専門家に話を聞いたりするのですが、そういったことの事前調査と手配が主な仕事でした。
現在のお仕事に近いですね?
まさしくそうなんです。業務の中には教育関係もありまして、日本の学生の団体と現地の中学校へ行って日本の文化を教えたり、教育委員会の方が視察に訪れたときは州の教育委員会との会合をセッティングしたりしました。
そういった業務はワーキングホリデーのころから行っていたのですか?
ワーキングホリデーのころは、まだ視察に対応できるほどの英語力はなかったので、ホテルや乗りもの、ガイドの手配などで経験を積みました。そうしながら旅行会社がどういう組織なのか、どういう仕事をしているのかを学んだのです。
同時に英語のスキルアップも図られた。勉強は続けていたのですか?
ときどきIELTSを受験していましたよ。英語がある程度できるようになると、日常のことがそつなくこなせるようになって、さらにスキルを高めようという意欲がなくなるんですよね。
そのままではいつまでもレベルアップしないと思い、ときどきIELTSのような課題を自分に課すことで勉強を続けていました。
「このままではいけないな」と思う時期があるんですよね。波のようにやってくる。余談ですが、今まさしくその時期が来ていまして(笑)。この秋にIELTSを受ける予定です。
現在、留学希望者に「英検やIELTSを取っておいた方がいいですよ」と紹介する立場にありながら、自分がしばらく受けていないのもよくないなと思いまして。「そつなく仕事をこなしている自分ってどうなんだろう?」という戒めも込めて。
英語を使う仕事の第一線で働く方にとっても、IELTSは指標となるのですね。
そうですね。日本に帰ってきたのが2003年なので、前回受けたのは少なくともそれ以前……ずいぶん時間が経っていますが(笑)、意外と前よりスコアは落ちるんじゃないかなと思っています。
逆に学生時代に弱かった部分が実務によって伸びているかも? そのバランスがどうなっているかも楽しみです。
帰国〜現在の仕事に就くまで
2003年に帰国されたとき、すでに次の仕事は決まっていたのですか?
決まっていませんでした。オーストラリアでの生活が10年になったこともあり、それを一区切りとして帰国しようと思ったわけですが、オーストラリアは第2の故郷といってもいいほど大好きな国なので、日本でもオーストラリアにかかわる仕事がしたいという思いはありました。
日本で1から就職活動をして、東京にあるインターナショナルスクールに勤めることになりました。そこではとても楽しみながら仕事ができたいのですが、オーストラリアにかかわる仕事に対する思いは抱き続けていていました。しかも、自分が初めてオーストラリアに降り立った地であるパースへの思いが強くて。
ワーキングホリデー以降、9年間住んでおられたシドニーではなく。
そうなんです。パースには、ほかの都市とはまったく違う良さがあって、その印象が強く残っていました。噛めば噛むほど味が出るような街なんですよ。
そんな思いを抱き続けていたある日、これは本当に縁としか言いようがないのですが、西オーストラリア州政府駐日代表部の求人を発見したのです。
旅行代理店で仕事をしていたころ、観光業でありながら観光だけではない特殊な仕事をしていた私にとって、まさにぴったりの仕事でした。 福祉や農務など、さまざまな産業に興味を持っていたので多分野の業務にかかわれることも魅力でした。そしてほかでもないパースの仕事。
ズバリですね!
頑張って履歴書を書きましたよ(笑)。今、本当に楽しいです。これだけ時間が経ってもパースのことが大好きで仕方がないので。
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遠山 桃子 (とおやま ももこ)
埼玉県所沢市出身。日本での社会人経験を経て、オーストラリアのパースへ留学。その後同じオーストラリアにてワーキングホリデーを経験、そして現地で就職。オーストラリア在住歴は計10年。日本に帰国後は、東京のインターナショナルスクール勤務を経て、現職の西オーストラリア州政府 駐日代表部に勤務。自身が経験した留学地としてのパースの素晴らしさをPRしている。最近は2児の母親として日々奮闘しながら、保護者の立場から考える若い世代への国際教育について高い関心を持っている。
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オーストラリア留学フェア 2015
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